お茶が創った風景。

京都の東福寺・芬陀院(ぶんだいん)にある茶室「図南亭(となんてい)」の丸窓。

侘び寂びの美意識

中国から伝播し、古今東西で愛されてきたお茶。単なる飲み物にとどまらず、文化として各地に根づき、多様な風景を生み出しています。

日本にお茶を飲む習慣が伝わったのは奈良時代。遣唐使によって薬としてもたらされたといいます。鎌倉時代には栄西という僧が『喫茶養生記』を著し、お茶を広く普及させました。

室町時代になると、村田珠光が簡素で精神性を重んじる「わび茶」を提唱。やがて、お茶を点てて客人をもてなす日本独自の文化「茶の湯」が生まれました。茶の湯は茶室のしつらえ、茶道具、掛け軸、庭、懐石料理、茶菓子など、さまざまな要素が融合した総合芸術でもあります。

デザインの小宇宙「茶室」

茶の湯を大成させたのは、戦国時代から安土桃山時代を生きた千利休です。利休が設計したと伝わる国宝「待庵」(京都・大山崎)は、わずか二畳の空間に炉、床の間、躙口(にじりぐち)を備え、光と影の演出によって非日常の世界を創りました。茶室は茶の湯の精神を体現する場であり、質素の中に究極の美を凝縮した「小宇宙」といえるでしょう。

原寸大で復元された「待庵」の内部

女性たちの社交の場

ヨーロッパでは、お茶よりも前にコーヒーを飲む習慣が広まっていました。17世紀には、フランスのカフェやイギリスのコーヒーハウスに男性たちが集まり、政治や経済について議論を交わすようになったといいます。

男性中心のカフェ文化に対し、女性たちが紅茶を飲みながら交流する場として18世紀に誕生したのが、フランスのサロン・ド・テです。ここでは紅茶のほかに華やかなお菓子も並び、貴婦人たちがエスプリの効いた会話に花を咲かせました。

もともと上流階級の女性が主導する形で、文学や芸術について語り合うサロン文化が発達していたフランス。紅茶は豊かな時間を過ごすための重要なコミュニケーションツールとなりました。画家ジュリアス・ルブラン・スチュワートの作品『五時のティータイム』には、19世紀後半のお茶会の様子が描かれています。

19世紀後半のお茶会の様子『五時のティータイム』

空腹から始まった優雅な文化

19世紀、ヴィクトリア朝時代のイギリス貴族は、遅めの朝食の後は夕食まで何も口にしないという1日2食の生活を送っていました。そんな中、午後の空腹をしのぐために生まれたのがアフタヌーンティーです。発案者は第7代ベッドフォード公爵夫人のアンナ・マリア・ラッセル。社交家だった彼女は豪華な調度品をそろえた応接間に友人たちを招待し、紅茶とフィンガーフードでもてなしました。

優雅なアフタヌーンティーの習慣はヴィクトリア女王の宮廷をはじめ、貴族社会に浸透。やがてティーテーブルに三段スタンドが置かれ、下段にはサンドイッチ、中段にはスコーン、上段にはケーキを美しく並べるというスタイルが確立し、イギリスの紅茶文化の象徴となりました。

優雅なアフタヌーンティー

壮大な緑のランドスケープ

陽光に光り輝くチャノキの緑が天空までも続いていく―。京都府和束(わづか)町は「茶源郷」と呼ばれるほど茶畑が広がっています。鎌倉時代に慈心上人(じしんしょうにん)が明恵上人(みょうえしょうにん)からチャノキの種を受け取り、この地に植えたことがその始まりだとされています。

「茶源郷」と呼ばれるほどの茶畑

江戸時代には煎茶製法の発明者・永谷宗円が宇治製法を確立し、和束は宇治茶の主産地となりました。山の急斜面を覆う畝(うね)は緑の波を描き、その景観は日本遺産にも認定されています。

南インド・ケララ州ムンナールは、標高約1,600mに位置する美しい丘の町。イギリス植民地時代に開発された茶畑が果てしなく続きます。

イギリス植民地時代に開発された茶畑

ここで栽培されているニルギリは、フルーティーな香りが特徴の紅茶。爽やかな一杯を味わいながら、茶農家の営みとチャノキが織りなす壮大な風景に想いを馳せてみてはいかがでしょうか。

参考:『日本茶の歴史』橋本素子(淡交社)、『英国ティーカップの歴史』Cha Tea 紅茶教室(河出書房新社)、サザビーズ https://www.sothebys.com、家庭画報.com https://www.kateigaho.com、和束町https://www.town.wazuka.lg.jp 画像協力:火学舎