特集 お茶は踊る

お茶は踊る
Dance Inspired by Tea

お茶から広がる、美しき舞踊の世界

おいしい紅茶のいれ方は、茶葉を踊らせる「ジャンピ ング」にあるといいます。今回の特集では、アフタヌーンティーから発展し人々を虜にした情熱的なダンスや、お茶から生まれた伝統芸術としての踊り、日々の農作業から生み出されたステップまで、世界中に広がる「お茶と踊り」の歴史を紐解きます。お気に入りのお茶とともに、心躍るティータイムを。

女性はコルセットを外し、軽やかなドレスを身に纏い、男性はポマードでなでつけたヘアスタイルが流行した。「ファイブ・オクロックティー」の文字も見られ、ティーダンスとともに一大ブームとなった様子がうかがえる
※写真提供:Cha Tea 紅茶教室

特集お茶は踊るDance Inspired by Tea 目次

流行の踊り

20世紀初頭、ヨーロッパやアメリカに新風を起こした「ティーダンス」の流行

  
ティーポットの中で、まるで踊っているかのようにゆらめく茶葉のように、人々もまた、一杯のお茶を囲みながら踊り明かした時代がありました。20世紀初頭、ヨーロッパの上流階級を虜にしたとされる「ティーダンス」の流行です。

19世紀半ばに貴族の間で始まったアフタヌーンティーは、やがてインドやセイロン(現スリランカ)での茶栽培の成功に伴い、安価で良質な茶葉が普及したことで、広く市民の生活の中へと溶け込んでいきました。そうした中で生まれた新しいティータイムの楽しみ方が、お茶とダンスを融合させた「ティーダンス」でした。

高級ホテルのラウンジなどで生演奏をバックに、ティーフードと社交を楽しむこの新しい文化は、最初にロンドンの女性たちの間で人気を博し、やがてアメリカでも大流行となります。特に1910年代から20年代にかけ最盛期を迎え、ヴィクトリア朝の厳格な規律から解放された若者層を中心に、夕方の気軽な社交場として支持されました。

アフタヌーンティーからダンスフロアへ

1913年、ロンドンのホテルのアフタヌーンティーにおいて、南米アルゼンチンから流入した「タンゴ」が導入され、当時の社交界に変化をもたらしました。それまでの伝統的な宮廷舞踊とは異なるタンゴのステップは、お茶の席における新しい娯楽として定着し始めます。当時、若い未婚の女性が男性と会うためには、「シャペロン」と呼ばれる厳格な付き添い人が必要不可欠でしたが、ティーダンスの普及はこの規律を緩和させ、男女の新たな親交の場となりました。体をきつく締め付けていた硬いコルセットを脱ぎ捨て、動きやすい軽やかなドレスへと着替えていったファッションの変遷も重なり、お茶の時間は女性の行動の自由度を広げる契機となりました。

当時の雑誌の広告からも、華やかなティーダンスの様子が伝わってくる。
写真提供:Cha Tea 紅茶教室

〝王室御用達〞ファイブ・オクロックティー

ティーダンスという華やかなブームの背景には、英国王室がもたらした歴史的な流行がありました。時の国王ジョージ5世とメアリー王妃が、それまで午後4時から5時の開始が主流だったアフタヌーンティーを「午後5時」から始めるルールを作ったことで、社交界から中産階級にいたるまで「ファイブ・オクロックティー」の言葉が流行しました。時計の針が5時を指すと、紳士淑女たちは美しいティーセットを囲み、スコーンを味わいながら、社交ダンス向けに洗練された優雅な「コンチネンタルタンゴ」を楽しみました。

こうしたホテルでのティーダンスは1930年代まで黄金期を誇りましたが、第二次世界大戦を機にダンスホールは閉鎖を余儀なくされました。戦後は個人宅での私的な茶会や、ピクニックの傍らで小規模に楽しまれる形へと移り変わっていきます。

時代の波を乗り越えた現在も、ロンドンの「ザ・ウォルドーフ・ヒルトン」では伝統のティーダンスが定期的に開催されるなど、往時の華やかな文化として受け継がれています。

芸術の踊り

お茶の魅力を舞う東西の舞台

『くるみ割り人形』は、クリスマス・イヴにくるみ割り人形を贈られた少女が、人形と共に夢の世界を旅するという物語で、チャイコフスキーが手がけた最後のバレエ音楽。『白鳥の湖』『眠れる森の美女』とともに「3大バレエ」とも呼ばれている
写真提供:Koujiro Yoshikawa/東京バレエ団

■東京バレエ団『くるみ割り人形』
日程:12月20日(日)12時30分/17時 会場:横須賀芸術劇場

クラシックバレエの名作に描かれた、憧れのお茶の精

華やかな舞台芸術の世界でも、お茶は実に130年以上もの間、軽快に踊り続けています。
クリスマスシーズンの定番として世界中で愛される名作バレエ『くるみ割り人形』のワンシーンです。

物語の第二幕、主人公の少女クララが案内されるのは、甘いお菓子の国の宮殿。ここで彼女を歓迎するために次々と現れるのが、様々な異国の名産品を擬人化したキャラクターたちです。情熱的なチョコレートの精による「スペインの踊り」や、妖艶なコーヒーの精による「アラビアの踊り」、それに続いてひときわ跳ねるようなステップで登場するのが、お茶の精による「中国の踊り」です。

この作品の振り付けを手がけたマリウス・プティパは、演出台本に明確にフランス語で『Le Thé(お茶)』と書き記していたことが記録されています。19世紀末のヨーロッパにおいて、遥か東洋から運ばれてくるお茶は、人々の異国への憧れをかき立てる魅力的な嗜好品。まさにお菓子の国の宮殿にふさわしい「至福の楽しみ」そのものであったという時代背景が浮かび上がります。

また、作曲家チャイコフスキーは、このお茶の精の踊りに、楽器の編成においてある仕掛けを施しました。
オーケストラの中で主旋律を奏でるのは高音のフルートやピッコロ。
軽快な音色に、ファゴットのユーモラスな低音を絡ませることで、飛び跳ねるような掛け合いを構成したと分析されています。その小気味よい音色の重なりは、独特の軽快な響きを湛え、今も劇場を華やかな興奮で包み込んでいます。

日本の伝統芸能に見るお茶の日常と価値

日本舞踊や歌舞伎の古典的な演目として今に伝えられる舞台からも、お茶が極めて価値の高い富の象徴であった時代背景や、お茶の文化がもたらす日々の美しい所作がそのまま舞台のドラマへと昇華されていった歴史が浮かび上がってきます。

『茶壷(ちゃつぼ)』の初演は1921年。熊鷹太郎を七代目 坂東三津五郎が勤めた。また十代目 坂東三津五郎と中村勘九郎(後の十八世勘三郎)のコンビは歴代屈指の人気を誇った長唄『茶壷』(第65回日本舞踊協会公演・2024年)
写真提供:(公社)日本舞踊協会

その代表格といえる舞踊劇『茶壷』は、最高級の茶葉として宇治の銘茶を買いに都へ上った田舎者の麻胡六と、それを盗もうとする大泥棒の熊鷹太郎が、一つの茶壷を巡って「これは自分のものだ」と言い張る物語です。二人は土地の代官である目代の前で、お茶にまつわる知識や歌の掛け合いを踊りながら正当性を競い合います。かつて茶壷がいかに価値の高い富の象徴であったかという当時の世相が、踊り手の小気味よい身振りを通してユーモラスに描かれています。

また、明治期に初演され、今なお上演を重ねる歌舞伎の演目『春興鏡獅子』の背景にも、お茶の作法文化が関わっています。

主人公の弥生は、江戸城の大奥に仕え、将軍にお茶を給仕する「御小姓」の少女。物語は正月の行事の日、振袖姿の弥生がお茶の稽古をしている最中に、将軍の御前で余興の舞を披露するよう命じられる場面から始まります。恥じらいながらも覚悟を決めて舞う弥生が、給仕のために懐中していた「帛紗(ふくさ)」を用いて美しく踊り始めます。

この帛紗を使った舞は、お茶を点てていた少女の日常から、やがて獅子の精霊へと変貌を遂げる劇的な非日常へとつなぐ、極めて重要な演出とされています。お茶作法により育まれた日常の所作の美が、伝統芸能の舞台へと鮮やかに昇華された、象徴的な場面です。

いずれも日本におけるお茶の文化が持つ洗練された美意識が、伝統芸能として静かに、そして深く表現されている名シーンとして受け継がれています。

『春興鏡獅子(しゅんきょうかがみじし)』の初演は1893年、九代目 市川團十郎が主演を勤め、後に六代目 尾上菊五郎が近代の形へ練り上げた。写真は、2014年歌舞伎座の舞台より、「弥生」五代目 尾上菊之助(現・八代目 菊五郎)
©松竹

収穫の踊り

茶畑でステップを。世界の茶摘みダンス

日本の茶どころや世界の名産地には、茶畑を舞台に独自の歴史や祈りをステップに変えて歌い踊り継がれてきた「茶摘み踊り」が存在します。ルピシアでも大人気の銘茶を生み出すお茶産地で受け継がれる、色彩豊かな「茶摘みダンス」をご紹介します。

静岡県・金谷
お茶への感謝が育んだ、
日本最大級の茶まつり

静岡・金谷

静岡県島田市の金谷地区で2年に一度、新茶の季節の到来を告げる「金谷茶まつり」が開催されます。<そのメインを飾る「茶娘道中」は、かつて茜だすきに菅の笠姿で茶畑へ繰り出していった女性たちの美しい労働風景を現代に再現したものです。井桁(いげた)模様の金谷絣(かなやがすり)に身を包んだ大人から、子どもの茶娘「豆茶(まめちゃ)」まで、500人を超えるきらびやかな茶娘たちが通りを埋め尽くします。名曲「ちゃっきり節」や「金谷音頭」に合わせて一斉にあでやかな踊りを披露する姿はまさに圧巻。現在は島田市の「しまだ市民遺産」にも認定され、地域を象徴する大切な伝統芸能として受け継がれています。

福岡県・八女
出稼ぎの記憶と、現代のアートがつないだ「八女茶山おどり」
福岡県・八女

八女茶の発祥地とされる黒木町笠原地区。かつてお茶の最盛期に九州各地から茶摘みの出稼ぎのために多くの人々が集まったこの地を中心に、古くから歌い継がれてきた民謡「八女茶山唄」があります。「縁がないなら 茶山にござれ、茶山茶どころ 縁どころ」と歌われるように、当時の茶畑は人々が出会い「縁」を育む特別な場所でもありました。唄に伴う即興の踊りは一度途絶えかけましたが、2019年、地域のNPO法人やアーティストらが協力し「八女茶山おどり」として見事に蘇りました。長年この地で暮らすお年寄りたちから、昔の暮らしや農作業の思い出を聞き取りながら作られたこの新しい踊りは、「人と人をつなぐ優しさ」が、みずみずしいステップとなって現代の棚田の風景に息づいています。

岡山県・岡山後楽園
名園の緑に映える、300年の由緒を 受け継ぐ「茶つみ踊り」
岡山県・岡山後楽園

日本三名園の一つとして名高い「岡山後楽園」。その美しい名園の一角「千入(ちしお)の森」近くに、江戸時代から大切に守られてきた茶畑が今も残ります。ここで毎年5月に行われる「茶つみ祭」で披露されるのは、岡山の銘茶どころ、美作(みまさか)地方に伝わる「美作海田(みまさかかいた)茶つみ踊り」です。かつてお茶の最盛期に、女性たちが揃って初夏の茶畑へ繰り出していった活気と喜びの記憶が、一つの美しい踊りとして形作られています。「美作海田茶つみ踊り保存会」の茶つみ娘たちが、紺絣の着物に赤だすきという昔懐かしい装いに身を包み「茶つみ音頭」のメロディに合わせて「茶つみ踊り」を奉納します。

タイ
茶園の営みから生まれた舞台芸術「ラバム・ケップ・バイチャー」
タイ

タイ北部チェンライなどの山岳部では、山の斜面に広がる緑豊かな茶畑をモチーフにした美しい民族舞踊「ラバム・ケップ・バイチャー(茶摘みの集団舞踊)」があります。この地域では1960年代以降、国家的な農地転換政策などを経てお茶の栽培が本格化しました。これに伴い、1980年に現地の芸術専門学校の舞踊家たちが、茶摘みの労働風景や所作を後世に残そうと、舞台芸術として形式化したのがこの踊りの始まりです。伝統衣装を纏った踊り手たちが手に籠を持ち茶摘みの様子を表現する姿は、「おもてなしの舞」として愛され、現在は、チェンライの観光茶園で文化プログラムとして披露されています。

インド
アッサムティーの故郷に響く、茶摘み女性たちのステップ「ジュムール」
インド

インド・アッサム州ではお茶の収穫期を迎えると、茶園に「ジュムール」と呼ばれる伝統舞踊の力強い太鼓と歌声が響き渡ります。この踊りは、19世紀のイギリス植民地時代に広大な茶園を開拓するため、インド中東部の様々な地域から移住させられた先住民族が、過酷な労働の中で互いの故郷の音楽を融合させて育んだのがルーツとされています。主役は、今も茶畑で茶葉を摘み取る女性たち。純潔を象徴する白い生地に、情熱を表す赤い縁取りのサリーを纏い、互いの腰に手を回しリズミカルにステップを踏みます。かつての痛みを分かち合うために歌い踊られたジュムールは、お茶とともに生きる人々の「誇り」として次世代へ力強く受け継がれています。

中国
中国の豊かな茶文化を現代に伝える、優美な集団舞踊「采茶舞曲(さいちゃぶきょく)」
中国

「采茶舞曲」は、中国の浙江(せっこう)省で誕生した江南地方の代表的な民族舞踊です。女性のみで構成される集団群舞で、実際のお茶作りの作業を忠実に模倣した美しい所作にその特徴があります。踊り手は茶の葉を、探す・摘む・籠に入れるという一連の動作や、茶葉を火にかけて炒る動きを、しなやかな手つきで表現します。また、傾斜のある茶畑での作業を反映したフットワークは、〝トンボが水面をかすめるよう〞と例えられる軽快なステップも特徴のひとつです。さらに、地元の伝統演劇である「越劇」の様式美を継承しており、彩扇と呼ばれる扇子をひらひらと動かすことで、茶畑に舞う蝶や風に揺れる葉の様子を表現しています。

主要参考文献・サイト
『図説 英国紅茶の歴史』(河出書房新社/Cha Tea 紅茶教室 著)/ザ・ウォルドーフ・ヒルトン・ロンドン公式HP/『音楽の友』2020年12月号(音楽之友社)/『文化デジタルライブラリー』(独立行政法人 日本芸術文化振興会)/『最新 歌舞伎大事典』(柏書房/富澤慶秀・藤田洋 監修)/静岡県島田市公式HP/特定非営利活動法人 山村塾公式HP/岡山後楽園公式HP/インド政府広報局公式ニュース/タイ・チュラロンコン大学公式HP/浙江芸術職業学院公式アーカイブ

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