浮世絵お茶語り:工夫を楽しみおいしく味わう

監修および画像提供/ 入間市博物館

江戸の人々の間で、急速に広がっていった煎茶。浮世絵の中にも、お茶にまつわる道具などが数多く登場します。そして、その道具が、お茶をどのようにいれ、飲んでいたかをひもとく手掛かりになるといいます。

入間市博物館学芸員の梅津あづささんに、解説していただきました。

入間市博物館学芸員 梅津あづささん

今では目にしない道具や道具立ても

―― 江戸時代のお茶エピソードはとどまることを知りませんね。

梅津 江戸時代にはあって、現在はあまり見なくなってしまったお茶スタイルもあるんですよ。【図8】の拡大図を見てください。

図8「やつしけんじ 雨夜のしな定」

歌川豊国 三代 安政2年(1855年)9月

―― 小さい羽子板のようなものを持っていますね。何をしているんですか。

梅津 これは「茶焙(ほう)じ」という道具で、茶壺から出した茶葉を焙じるために使うんです。このお茶を土瓶に入れて、さっと火にかけていれようとしているのでは、と思います。

―― 香りを出すためですか。

梅津 当時は、中級以下の蒸し製煎茶は、軽く焙じてから飲むことがすすめられていたようです。喫茶道具を描いた浮世絵には、この茶焙じが出てくるのを見かけることがあります。今では、製茶技術や保存法が発達したため、家で茶を焙じるというのは一般的ではありませんが、湿気を取り、香りを出すこともできます。江戸っ子の間では欠かせないひと手間だったんでしょうね。

―― おいしくいれたい、飲みたいという気持ちが生み出した道具であり、習慣なんですね。【図9】の女性が持っているのは茶こしですか?

図9「善悪三拾六美人笠森於仙」

豊原国周 明治9年(1876年)

梅津 そうです。茶こしに茶葉を入れて出そうとしているところです。題名にあるように、江戸谷中の笠森稲荷門前の水茶屋「鍵屋」の看板娘、笠森お仙をモデルにしていますが、実はお仙の活躍した時代は茶釜で煮出したお茶を出していました。江戸の人物を明治時代にタイムスリップさせたら、お茶のいれ方もその時代のものにアップデートされたという、おもしろい一枚だと思います。

――【図10】は、宴のようですね。

図10 「東源氏仲夏ノ図」

歌川豊国 三代 万延元年(1860年)

梅津 手すりに寄りかかって景色を眺める男性の前にあるものは、当時流行った煎茶道具なんですよ。水注(すいちゅう)や茶碗、茶壺ののった棚の傍らに涼炉が置かれ、その上には急須らしいものが見えます。

―― 道具の顔ぶれから見ると、烹茶なのかしら……。さて、【図11】の見どころはどこでしょうか。

図11 「東海道五十三次之内 袋井 出茶屋ノ図」

歌川広重 初代 天保4年(1833年)頃

梅津 東海道袋井宿のこの茶店では、大木にやかんを吊るして、茶を煮出しています。これは煎茶の烹茶でも淹茶でもなく、「煎じ茶」でしょう。庶民の間では、煎茶が広まるより早く、茶葉を湯釜で直接煮出して飲むことが普及していました。硬い葉などを原料とした番茶がそうです。

―― やかんの底をおおう黒っぽい部分は、煤(すす)にも見えますね。

梅津 そうかもしれませんね。グラグラ煮出していれていたのではないでしょうか。一枚の浮世絵の中にもお茶にまつわるさまざまな風俗が描かれています。着物の紋から人物の位などを想定し、そこからどんなお茶を楽しんでいたのか想像したりするのも、ゆっくり過ごしたいお茶の時間にぴったりではないでしょうか。

―― そうですね。たくさんの発見があるお話をありがとうございました。

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